12月4日院内集会ご報告

2018年12月4日午後3時から、参議院議員会館B107会議室にて、優生手術に対する謝罪を求める会・全国優生保護法被害弁護団による「優生保護法被害者の声を伝える院内集会」が開催されました。
集会では、全国の原告のうち8名が集まり、めいめいの被害の経緯や深刻さ、救済立法に求める内容等についての思いを語りました。

8名の中には、本年9月28日に神戸地裁に全国で初めて聴覚障がい者として提訴した小林寶二さん、喜美子さん夫妻、高尾辰夫(仮名)さん、奈美恵(仮名)さん夫婦もおり、優生手術の被害の実態と思いを、以下のように語りました。

 

小林寶二さん(神戸)

「兵庫県明石市から来ました、明石市生まれの聞こえない小林と申します。
50年間、優生保護法強制不妊手術のことを全く知らずにおりました。
私は結婚して、妻とも子供が欲しいと話し合い、作ろうと思っていました。しかし、私の母は、聞こえない私たちが『子供を持ってはいけない』という考えを持っていました。
その後、妻は妊娠しました。医者から「おめでとう」と言われた時は、夫婦でとても喜びました。
しかし、私は知らなかったのですが、妻の母と私の母が話し合い、手術を決めてしまいました。私の母と妻の母が何か相談しているのを見て、妻も何を話しているのか尋ねましたが、二人とも何も教えてくれなかったそうです。
当時、私は仕事に通っていました。そして、妻が病院に入院しました。私が仕事を終わって病院に行くと、私の母が病室におり、妻は病室にいませんでした。おかしいと思ったのですが、私の母は理由を教えてくれませんでした。
妻が退院してから、妻にどうしたのかと聞くと、よくわからないが、寝ている間になにか手術を受けさせられたような気がする、と言うのです。
私は、母に、入院中になにか手術したのかと問いただしたら、「堕胎手術をした」と言いました。私は「どういうことなんだ」と非常に怒りました。母ははっきり説明せず、「私が悪いんだったら死ぬ」という風に言いました。もし母を殺したら、私が捕まってしまうので、我慢をしました。
その時、妻は大変泣いていました。妻は手術の説明は全く聞いていませんでした。ただ連れて行かれて、手術を受けさせられたのです。本来であれば、手術をするという説明や相談が必要だったでしょうが、お互いの親同士で相談をして決めてしまったのです。
本当に苦しかったです。なぜそんな手術を受けさせられたのか説明してほしいと言ったが、何も説明がありませんでした。
もし、若い時、子供を産んでいれば、いろいろな夢があって楽しい人生だったと思います。子供と旅行に行ったりしたかったです。
今、私は86歳です。手術したのは昔のことでも、苦しみは今も続いています。皆さんがいろいろサポートしてくれていることについては、とてもうれしく思っています」

 

小林喜美子さん(神戸)

「私は、大阪の聾学校を卒業し、紳士服の縫製をしていた時に、主人と見合い結婚しました。
主人は手話、私は口話で話をしていました。結婚後は二人とも頑張って働き、家に帰り、ご飯を作って一緒に食べるという日々を送っていました。
私は、子供が生まれるのを楽しみにしていましたが、子供は生まれませんでした。おかしいと思って診てもらった結果、手術したことがわかりました。もし子供がいれば、仕事を頑張りながら、子供をかわいがって育てたのに、それが叶いませんでした」

 

高尾辰夫さん(仮名・神戸)

「私は、手術の後、50年ずっと苦しい思いをしていました。優生保護法については全く知りませんでした。情報を持っていませんでした。
私たちは、結婚の時、両親同士が話し合い、結婚の条件として子供は作らないということを言われました。意味が解りませんでした。昔は通訳もいないし、筆談も限界があるのです。
親に病院に連れていかれましたが、医師からの説明もなかったです。通訳もいませんでした。何の説明もないままに手術を受けさせられました。もし通訳がいれば、拒否できたと思います。
私はとても苦しい思いをし、妻も手術のことを知って非常に悲しみました。
これは、私たちではなく、両親が相談して決めたことです。被害を言えない人たちは、まだたくさんいると思います。国からの謝罪補償を要求したいです」

 

高尾奈美恵さん(仮名・神戸)

「私は、結婚してから、子供を産むことについて、楽しいイメージを膨らませ、夫と話し合っていました。
手術については、両親同士が相談したようで、私は全く話を聞いていません。親が主人を病院に連れていき、手術を受けさせたのです。
私は大変驚きました。これは法律違反なのではないかと思います。私たちは結婚していて、夫婦なので、私たちの考えを優先してほしかったです。それを無視して親が勝手に手術したのは大変な法律違反なのではないかと思っています。
もし、手術が広がっていったら、本当に困ると思います。断固、反対していかなければなりません。
手術当時は、手話サークルなどの支援が全国に普及していませんでした。各県に手話サークルがあれば、情報を広めることができたと思うのですが、当時は情報が全くありませんでした。残念です。もし手話サークルなどがあれば、私も周りの人たちと 一緒に何か援助を受けられたのではないかと思います。
私は島根県生まれですが、もし地元に手話サークルなどの支援があれば、両親と話し合い、解決できたかもしれないと思います。
強制不妊手術反対という運動と、被害者の会の運動は、広めていかなければならないと思います。」

 

また、本集会には社民党の福島みずほ参議院議員、自由民主党の田村憲久衆議院議員、立憲民主党の尾辻かな子衆議院委員、山川ゆりこ衆議院委員も駆けつけ、国会の謝罪や救済立法、優生保護法が作られ優生手術が行われた背景、経緯や原因の調査等への、熱い思いをお話しいただきました。

 

会場からも、「優生手術に対する謝罪を求める会」、「優生手術被害者と共に歩む宮城の会」、「DPI日本会議議長」「聴覚障害の親を持つ聞こえる子供の会」「聴覚障害の親を持つ聞こえる子供の会」「東京都聴覚障がい者連盟」「埼玉障がい者市民ネットワーク」の皆様から、この問題や救済制度に対する意見、考えや思いを多数、いただきました。

 

本日の集会では、被害者・家族の会の立ち上げも行われました。共同代表として就任した北三郎(仮名)さん、飯塚淳子(仮名)さんから、以下の声明が読み上げられました。

「国は、悪かったことを認めて、しっかり謝ってほしい。昔のことだから、でなくしっかりと謝ってほしい。
国は私たちの気持ちを尊重して、私たちが納得できる法律を作ってください。被害者への補償と人権の回復を求めています。
多くの人に、勇気をもって声を上げて欲しい。ひとりでも多くの人に名乗り出て欲しい。情報が届かない人が多くいます。一人でも多くの人に情報が届くようにしてほしい。
多くの被害者が高齢です。この問題を一日でも早く解決してください。」

 

優生保護法被害全国弁護団共同代表、新里弁護士は、「今から約1年前、12月に報道で『優生保護法被害について、来年1月に提訴予定』という記事が出て、その1年後の今日、全国から原告が国会に集まり、議員の皆様にも現状を聞いてもらっています。一年の間に、だいぶ進んできました」と、一年間の活動の広がりを振り返り、「ここからが大事なところだと思っています」と述べました。

また、同共同代表、西村弁護士も、「現在、立法化に向けての動きが進んでいます。しかし立法の後も、ここにいる一人一人の努力が、さらに優生思想を乗り越えようという、より大きな議論につながっていく。そこでようやく、苦しんできた皆さんの気持ちも報われるのではないか」と述べ、訴訟や被害回復立法、そして、社会全体が優生思想を乗り越える、という問題についての、それぞれの思いを語りました。

12月 12, 2018