東京訴訟第10回期日のご報告
1.入庁行動
2020年1月16日,東京訴訟の第10回期日がありました。この期日では,被告人質問や証人尋問が予定されていたせいか,メディアの取材もありました。横断幕を持って一旦門の前を通り過ぎた後,「横断幕を持って門の中に入るところも撮影したい」という要望があったため,再度戻ってまた行進しました…。
2.尋問期日
この日は,傍聴券の配布が遅れたということで,14時をだいぶ過ぎてからのスタート。しかも,法廷が始まる前に2分間撮影があるということで,裁判官も弁護士や傍聴人もみんな身じろぎせず(別にしてもいいはずなのですが)2分間を過ごしました。
まず,原告は,第7準備書面を陳述し,証拠も何点か提出して取調べがありました。
その後,原告の北さん,北さんのお姉さん,市野川教授の3人が揃って宣誓し,証人尋問が始まりました。
(1)原告尋問(北さん)
最初は北さんの尋問です。緊張されていたのか,時々質問と答えが噛み合っていない場面もありましたが,全体を通して大きな声ではきはきと答えられていました。以前修養学園があった場所の写真などもディスプレイに表示されました。
国側からの反対尋問では,修養学園への入園年の確認と,北さんには身体障害・知的障害・精神障害はないんですね,という確認と,先輩から何を口止めされたのかについての確認がありました。
裁判所からの補充質問はありませんでした。
(2)北さんのお姉さんの証人尋問
次は,北さんのお姉さんの証人尋問です。
お姉さんが高校3年生のころ,お姉さんは,北さんが子供ができなくなる手術を受けたことを祖母から聞きましたが,祖母から聞いた手術の話を誰にも話していない,誰にも言っちゃいけないと祖母から言われていたから,ずっと心の中に留めておいた,と言いました。また,「北さん夫婦はとっても仲良しで,子供好きだった。自分の子供2人と遊んでくれている時,北さんはうれしそうで,それを見て,自分の子供がほしそうだと思った。それを見て,子供ができないということを,絶対言っちゃいけないと思った。」とお話しされながら,涙をぬぐっていました。北さんが,仙台訴訟の報道を見て「自分も相談してみる」とお姉さんに連絡した時,お姉さんは,「 もういつ話せるかわからないから話そうと思っていた。ずっと話さなきゃと思ってた。 」と言っていました。家族にも言えない秘密を60年抱えて生きるということは,どんなに辛いことでしょうか。想像することもできないほどの苦しみだったと思います。「国には謝罪してもらいたいと思う。訴訟を起こしている弟には,国から謝罪してもらって楽しく生活できるようにしてもらえたらと思う。弟は,巻き添えにして申し訳ない,と言っていたが,できるだけ弟のことを応援したいと思う。」と話して,尋問を締めくくりました。
国からの反対尋問,裁判官からの補充質問はありませんでした。
(3)市野川教授の証人尋問
最後は,市野川教授の証人尋問です。普段から話をする職業のせいか,聞き取りやすく,わかりやすいお話をされていました。証人尋問というよりは,講演を聞いているような気持になりました。
市野川先生の話は,「1933年制定のナチ断種法と48年制定の日本の優生保護法は,強制的に不妊手術を行えるということでは変わりない。ドイツでは1980年代に補償が始まっていた。日本では1994年段階でまだその法律がまだそのままだということは問題。この法律が廃止されたら,補償の問題が出てくると思っていた。日本がドイツと同じように人権を保障する国であるならば,ですが。」と,痛烈な皮肉から始まりました。
「謝罪を求める会が結成され,ドイツやスウェーデンと同じようにまずは実態解明のために調査をしてほしい,という要望書を厚労省に提出したが,厚労省の対応は, 時としては合法的なものであったので,実態調査も謝罪もすることは考えていない,日本の優生保護法に基づく優生手術は,再審査・不服申し立ても定められているので,強制的に実施するものではなかったはずだ,と回答したと聞いている。」「被害者の話を聞くことが重要だと考え, 1997年11月と1999年1月 にホットラインを実施した。被害件数が少なくとも1万6千件はあるはずだが,ホットラインに連絡があったのは1回目 電話7件手紙が2通 ,2回目は電話10件に過ぎなかった。」
相談件数が少なかった理由として,市野川教授は3点をあげました。
「理由の1つめは,被害者自身が優生保護法に基づく手術だと認識していないこと。1953年に出された通知で,厚生省が審査を要件とする手術は強制の方法をとっても差し支えない,身体拘束,麻酔薬,欺罔をやってもいいとされている。本人にわからないように手術してもいい,という指導をしていた。
第2の理由は,認識していたとしても,優生保護法1条は「不良な子孫の出生を」とある。誰が自分が不良な子孫だと進んで名乗り出るだろうか。
第3の理由は,家族にも不良な子孫というスティグマが及ぶので,家族も進んで公表しようとはしないだろう。
こういう理由で被害者と繋がれなかったのだろうと思っている。 北さんのお姉さんの尋問を聞いて,この3つの理由(仮説)は正しかったと思う。 」
その後も,謝罪を求める会が要望書を提出したり,国連の人権規約委員会からの勧告があったりしましたが,厚労省の対応は変わらなかったそうです。
市野川教授は,「1933年のナチの断種法には,遺伝病患者という言葉があるが,それが劣っているとか不良であるという価値観を示す言葉は一切ない。しかし,日本では,『不良な子孫の出生を防止する』と書かれている。不良なものは生まれてくるべきではないし,子供を持つべきではない,という価値判断が法律に書いてあること自体が問題。これが,被害者にどのぐらい大きなスティグマを負わせたかということを考えるべき。 ハンセン病では,隔離政策という辛い状況の反面,被害者がつながることができた。しかし,優生手術については被害者が孤立している。21世紀に至るまで被害者同士がつながることができなかったという点において,ハンセン病とは被害の性質が異なる。」 とも述べました。
また,「法律が廃止されてなお不良な子孫という価値観がはびこっている理由は?」と問われて,市野川教授は,「去年の4月一時金支給法で一定の前進はあったが,どういうことがなされたかという実態解明や,国連勧告を踏まえて何をしなければならないかがはっきりしていない。向き合ってこなかった。今ちょうど相模原事件の裁判が横浜地裁でなされているが,向き合うことをしてこなかったことが,相模原事件の被告が言っているような考えを助長しているのではないか。」と述べました。
反対尋問では,ホットラインへの相談件数の確認と,立法府への働きかけの一つの結果として2004年の 坂口大臣のやりとりがあったということかという確認,H29.6に H29.6に日弁連に人権救済を申し立ててそれが国賠につながったということだがそれまで司法からのアプローチは第一には考えてこなかったのか,という確認などがされました。
裁判所からの補充質問はありませんでした。
3.次回期日
次回期日は3月17日14時 ,本日の尋問を踏まえて原告・被告はそれぞれ最終準備書面を次回期日の1週間前までに提出することになりました。