当事者の声(大阪の空ひばりさん)
大阪の原告である空ひばりさん(仮名)の声を聞いてください。(末尾にルビ版のPDFを添付しています。)
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私は,中学校3年生の時に,日本脳炎にかかって高い熱が出ました。私は,その後,その熱のために,知的障害となりました。療育手帳はB1です。
私は,高校を卒業した後に,母に連れられて,その頃,大阪市にあった産婦人科病院にて,おなかを切る手術を受けました。私は,手術のために,1週間から10日程,入院をしていました。
手術は,とても痛く,私の心の中もとてもショックでした。母からは手術の前には手術についての説明は何もありませんでした。わけもわからずに手術を受けることになり,どうしてこんなことになったのかと生きていくのが嫌になりました。
手術の痛さや,その後母から聞かされた手術についての話から受けたショックの大きさは今も忘れることはありません。とてもショックだったので,私は,産婦人科の名前や場所を今でもはっきりと覚えています。
その後,私は結婚しました。
手術の後になって,私は,母から,私が受けた手術が,子供ができなくなるようにする手術であると聞きました。母は,「この手術については人に言わないように,秘密にするように。」「子供ができると苦労するから。」と言っていました。
ですので,私は,手術のことについては,私の3歳年上の姉以外には,話をしていません。夫にも手術のことは話をしていません。
私と夫の夫婦の仲は良く,私は夫との間の子供が欲しくてほしくてたまりませんでした。ですので,結婚後も,なぜこのような手術をさせられてしまったのかとの怒りでいっぱいでした。このような手術のために子供を産むことが一生できなくなってしまったことが,とてもショックでたまりませんでした。
私のおへその下には,2.5cm程のおなかを切った時の手術のあとが今もはっきりと残っています。この傷を見るたびに,私は悲しくなります。自分が決めたわけでもないのに勝手に手術を受けさせられたこと,そのために子供が欲しくてもできないのだということは,とても悔しいことです。私は,これまでこの悔しい思いを少しも消すことはできませんでした。
75歳になった今でも,「私の体を,手術をする前の元の体に戻してほしい」という気持ちは変わることがありません。今すぐにでも私の体を元に戻すための手術をして欲しいという強い思いはなくなりません。
国には,今もまだ消えない,私のショックと悲しみの大きさを知ってもらいたいと思っています。法律がなくなっても,今も,私の「心の傷」と「体の傷」は治ることがなく続いているのだということをわかっていただきたいと心から願っています。
平成30年9月28日
空 ひばり(仮名)
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