平成30年(ワ)第76号,第581号 国家賠償請求事件 判決要旨 1 国会が損害を賠償する立法措置を執らなかった立法不作為等に基づく損害賠償 請求権の成否  人が幸福を追求しようとする権利の重みは,たとえその者が心身にいかなる障が いを背負う場合であっても何ら変わるものではない。子を産み育てるかどうかを意 思決定する権利(リプロダクティブ権)は,これを希望する者にとって幸福の源泉と なり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,上記の幸福追 求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権の一内容を構成する権利として 尊重されるべきものである。  しかしながら,旧優生保護法は,優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するな どという理由で不妊手術を強制し,子を産み育てる意思を有していた者にとってそ の幸福の可能性を一方的に奪い去り,個人の尊厳を踏みにじるものであって,誠に悲 惨というほかない。何人にとっても,リブロダクティブ権を奪うことが許されないの はいうまでもなく,旧優生保護法第2章,第4章及び第,5章の各規定(以下「本件規 定」という。)に合理性があるというのは困難である。  そうすると,本件規定は,憲法13条に違反し,無効であるというべきセある。 したがって,本件優生手術を受けた者は,リプロダクティブ権を侵害されたものと して,国家賠償法1条1項に基づき,国又は公共団体にその賠償を求めることができ る。もっとも,本件優生手術から20年が経過している場合には,国家賠償法4条の 規定により適用される民法724条後段(以下,単に「除斥期間」という。)の規定 により,当該賠償請求権は消滅することになるため,上記の者は,特別の規定が設け られない限り,国又は公共団体に対し当該賠償請求権を行使することができなくな る。  そして,憲法13条は,国民一人ひとりが幸福を追求し,その生きがいが最大限尊 重されることによって,それぞれが人格的に生存できることを保障しているところ, 前記のとおり,リプロダクティブ権は,子を産み育てることを希望する者にとって幸 福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,憲 法上保障される個人の基本的権利である。それにもかかわらず,旧優生保護法に基づ く不妊手術は,不良な子孫の出生を防止するなどという不合理な理由により,子を望 む者にとっての幸福を一方的に奪うものである。本件優生手術を受けた者は,もはや その幸福を追求する可能性を奪われて生きがいを失い,一生涯にわたり救いなく心 身ともに苦痛を被り続けるのであるから,その権利侵害の程度は,極めて甚大である。 そうすると,リブログクティブ権を侵害された者については,憲法13条の法意に照 らし,その侵害に基づく損害賠償請求権を行使する機会を確保する必要性が極めて 高いものと認められる。  他方,前記認定事実によれば,本件優生手術は,優生上の見地から不良な子孫の出 生を防止するといういわゆる優生思想により,旧優生保護法という法の名の下で全 国的に広く行われたものであることからすれば,旧優生保護法という法の存在自体 が,リブロダクティブ権侵害に基づく損害賠償請求権を行使する機会を妨げるもの であったといえる。そして,旧優生保護法は,優生思想に基づく部分が障がい者に対 する差別になっているとして平成8年に改正されるまで,長年にわたり存続したた め,同法が広く押し進めた優生思想は,我が国において社会に根強く残っていたもの と認められる。しかも,前記認定事実によれば,いわゆるリプロダクティブ・ライツ という概念は,性と生殖に関する権利をいうものとして国際的には広く普及しつつ あるものの,我が国においてはリプロダクティブ権をめぐる法的議論の蓄積が少な く,本件規定及び本件立法不作為につき憲法違反の問題が生ずるとの司法判断が今 までされてこなかったことが認められる。のみならず,本件優生手術に係る情報は, 同じく憲法13条の法意に照らし,人格権に由来するプライバシー 権によって保護 される個人情報であって,個人のプライバシーのうちでも最も他人に知られたくな いものの一つであり,本人がこれを裏付ける客観的証拠を入手すること自体も相当 困難であったといえる。現に,本件優生手術を理由として損害賠償を求める訴訟は, 本件が全国で初めてのものであり,旧優生保護法が平成8年に改正されてから既に 20年以上も経過していることが認められる。  そうすると,これらの事情の下においては,本件優生手術を受けた者が,本件優生 手術の時から20年経過する前にリブロダクティブ権侵害に基づく損害賠償請求権 を行使することは,現実的には困難であったと評価するのが相当である。  したがって,本件優生手術を受けた者が除斥期間の規定の適用によりリプロダクテ ィブ権侵害に基づく損害賠償請求権を行使することができなくなった場合に,上記の 特別の事情の下においては,その権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を 執ることが必要不可欠であると認めるのが相当である。  もっとも,上記権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執る場合におい て,いかなる要件でいかなる額を賠償するのが適切であるかなどについては,憲法1 3条及び憲法17条の法意から憲法上一義的に定まるものではなく,憲法秩序の下に おける司法権と立法権との関係に照らすと,その具体的な賠償制度の構築は,第一次 的には国会の合理的な立法裁量に委ねられている事柄である。そして,前記認定事実 によれば,我が国においてはリプロダクティブ権をめぐる法的議論の蓄積が少なく本 件規定及び本件立法不作為につき憲法違反の問題が生ずるとの司法判断が今までさ れてこなかったことが認められる。  そうすると,このような事情の下においては,少なくとも現時点では,上記のよう な立法措置を執ることが必要不可欠であることが,国会にとって明白であったという ことは困難である。  したがって,本件優生手術を受けた者が除斥期間の規定の適用によりリプロダクテ ィブ権侵害に基づく損害賠償請求権を行使することができなくなった場合に,我が国 においてはリプロダクティブ権をめぐる法的議論の蓄積が少なく本件規定及び本件 立法不作為につき憲法違反の問題が生ずるとの司法判断が今までされてこなかった 事情の下においては,少なくとも現時点では,その権利行使の機会を確保するために 所要の立法措置を執ることが必要不可欠であることが明白であったとはいえない。  以上によれば,国会が損害を賠償する立法措置を執らなかった立法不作為等は,い ずれも国家賠償法1条1項の規定の適用上違法の評価を受けるものではない。 2 民法724条後段(除斥期間)の適用の可否について  国家賠償法4条が適用する除斥期間の規定は,不法行為をめぐる法律関係の速やか な確定を図るため,20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過 によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものである。 そうすると,法律関係を速やかに確定することの重要性に鑑みれば,このような立法 目的は正当なものであり,その目的達成の手段として上記請求権の存続期間を制限す ることは,当該期間が20年と長期であることを踏まえれば,上記立法目的との関連 において合理性及び必要性を有するものということができる。  したがって,除斥期間の規定には,目的の正当性並びに合理性及び必要性が認めら れることを考慮すれば,その余の点について判断するまでもなく,本件において,リ プロダクティブ権侵害に基づく損害賠償請求権に対して除斥期間の規定を適用する ことが,憲法17条に違反することになるものではない。 3 その他  その他に,当事者双方の準備書面における各主張及び提出証拠を改めて検討しても, 上記判断を左右するに至らない。  なお,本件事案に鑑み,憲法13条及び憲法14条にいう普遍的な価値に照らし, 平成の時代まで根強く残っていた優生思想が正しく克服され,新たな令和の時代にお いては,何人も差別なく幸福を追求することができ,国民一人ひとりの生きがいが真 に尊重される社会となり得るように,最後に付言する。